窓から流れ込む午後の風だけが、澄まし顔で副会長室の中を優雅に流れる。朝はすっきりと晴れていた空が、今は少しだけ曇り始めている。日中は雨の心配は無いが陽が暮れてからは傘が必要かもしれないというのが、昨日の夜の予報内容だった。
今朝のは知らない。天気予報などチェックはしてこなかったから。だがこの雲行きだと、雨の降り出すタイミングは予定より早まったのかもしれない。
「ごめんなさい」
ようやく口を開いたのは華恩。どのような表情を作ればよいのかわからないまま固まってしまった顔に無理矢理笑みを浮かび上がらせ、飽く間で平静を保とうとしながら少し思案するように視線を落す。
「今、何と?」
聞き間違いに決まっている。
そんな華恩の思いを、瑠駆真は無情に打ち砕く。
「お茶会には出ません。お誘いはお断りします」
「なぜですか?」
今度は素早かった。瑠駆真の言葉尻を掻き消しそうな勢いで言葉を投げる。
「なぜそのような事をおっしゃる?」
「なぜ?」
華恩の言葉に、瑠駆真は意外だという表情で応対する。
「理由は簡単。お茶会などに、興味がないからです」
「興味がなかったらご辞退なさると言うの?」
まるでとんでもない言い訳だと言わんばかりの質問に、瑠駆真は眉をピクリと動かす。
「当然です」
簡潔に答え、顎を上げ、瞼を少し伏せて半眼で相手を見下ろす。
「興味のない催しに出席する義務はない。何より僕は、あなたとは面識もない。出席しなければならない義理もない」
「義理などとは失礼なっ!」
たまらず割って入った一人の少女を、だが華恩はピシャリと咎める。
「黙りなさいっ」
短く威圧し、相手を黙らせる。そうして、まだなお笑みと矜持を保とうと頑張る顔を瑠駆真へ向けて、首を傾げた。
「確かに、私とあなたは、ほとんど面識もありませんわね」
面識がない? 私の存在など意識した事もないと言うのか?
唐渓高校で最高の権利を誇示する華恩に対して、お前など知らぬと言い放ったようなもの。校内で自分を知らぬ者など存在するわけがないと自負する華恩にとって、それは不敬に値する。
だが華恩は、笑みを絶やさない。
これくらい反抗的な方が、むしろ落しがいもある。
力に反発したがるのは男の本能。媚を売る男よりもむしろ魅力的だと、母も言っていた。そして、それを上手に偶う能力も、女性の価値を決める要素の一つなのだと。
私の誘いを断るのだって、きっと気紛れ的な反発心の一つだ。本気で私を突っぱねようとしているはずがない。
そうよ。いくら私に反発したって、最終的には私に魅かれる事になるんだわ。こうして私と向かい合い、言葉を交わせばいずれわかる。私という人間がどれほど価値のある、意義のある人間なのかという事を。あんな野蛮な大迫などという女よりも、私の方がずっと魅力的な存在であるという事実に、いずれ気付く。
気付くはずなのだ。気付かないわけはない。
その絶対の誇りと自信を携え、華恩は優雅に小首を傾げる。
「ですけれど、今こうしてお会いして、ご挨拶を交わしましたわ。もう私たちは、知らぬ仲ではありませんわよね」
微かに首を振りながら髪の毛を揺らし、そっと両手を瑠駆真の右手へ伸ばす。
「唐渓祭の事はさておき、まずはお座りになりません? お茶をお煎れいたしますわ」
ほら、私を見て。
だが瑠駆真は、華恩の手を無造作に払いのける。ピシャリと乾いた音が、副会長室内に響き渡った。
「っ!」
大袈裟に手を引っ込める相手にも、瑠駆真は表情を変える事はない。
「せっかくのお誘いですが、それもお断りします。僕は忙しいのでね」
言いながら足首を使って、身を反転させた。
「僕はお茶会の辞退を告げに来ただけ。もうこの場に用はありません」
肩越しに華恩を一瞥して背を向けた。そうして一歩踏み出そうとする後ろ姿に厳しい一声。
「待ちなさい」
振り返る先で、廿楽華恩が睨み付ける。その瞳にギラリと光る激しい光。ピシリと、その顔面にヒビが入ったように、瑠駆真には見えた。
「このまま帰れるとお思いになって?」
この期に及んでもまだ上流階級という立場に縋りつくかのような物言いが、瑠駆真にはひどく滑稽に聞こえた。
「あなた、自分のおっしゃっている意味をご理解なさってる?」
腰に右手を当て、一歩前へ出る華恩。肩に落ちる髪をこれ見よがしに左手で振り飛ばす。
「僕は、理解不能な言葉を口にした覚えはありません」
「ならば、あなたの頭の中は、とてつもなく常識を逸脱していらっしゃるのね」
部屋の隅で、緩はゴクリと生唾を飲む。面と向かって言われたら、緩なら恐怖で気絶してしまいそうだ。だが瑠駆真は肩越しで振り返ったまま、大して機嫌を損ねた様子も見せず、ただ無表情のまま応対する。
華恩にこんな態度を取ってしまって、この先の学校生活はどうなるのだろう? 自分を取り巻いていた女子生徒たちも、去ってしまうのだろうか?
だが瑠駆真は怖いとは思わない。自分でもふてぶてしいと思えるくらい、恐怖も何も感じない。
「失敗したアカツキには、思う存分笑えばいい」
聡に告げたあの時、覚悟は決まった。もう後戻りはできない。
後戻り? そんなものする必要はない。ただひたすら、美鶴と二人で前へ進んでいけばいいのだ。
女子生徒たちからの好意? そんなものは必要はない。学校での扱いがどうなろうと、もはや何の問題もない。なぜならば、唐渓での学校生活そのものが、瑠駆真にも美鶴にも、もう必要がないのだから。
女子生徒に愛想を振りまく必要もない。何が起ころうともかまわない。
そう決心すると、瑠駆真は何も感じなくなった。恐怖も、躊躇いも―――
「私からの誘いを断るという事がどれほどの非常識になるのか、じっくりと諭してさしあげなければなりませんかしら?」
「あなたにとっての非常識が、僕にとっての常識となりうる場合も、あるかもしれませんね」
「私にとっての非常識は、すべての場合においての非常識です」
華恩は早口で捲くし立て、瑠駆真の意見を完全否定し、ツイッと顎をあげた。
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